社長のトリセツ~生と死、四十にして人の絆を知る
お彼岸です。朝から先祖の墓と母方の祖母ちゃんの兄弟の墓参りに行かせてもらいました。なんとも暖かく、若干伸びてきた草取りに春を感じる。朝から市営霊園は車で大混雑だ。
この10日間で妹の第一子の誕生と私のいっこ上の親戚の通夜と葬式、その亡くなった親戚の妹の挙式と・・・・
人生で一番感情の起伏が激しい時を過ごした。
妹の挙式の前日に亡くなってしまった兄貴の葬式がこの木金で執り行われた。どういった感覚で弔問すればよいのか。奥さんと中学生になる息子と小学生の女の子を置いて天国へ旅立った。
朝まで呑んで酔っ払ってホームから落ちてしまったところに回送電車が入ってきてしまった。体はボロボロだ。
41年間自分を支えてきた両足は無い。 なんとも痛々しく、残念だ。 こういった朝まで呑んでしまう習慣は前々からあったらしい。
連絡を取り合う中ではなかったけれど、自宅のアルバムを見るとこいつと二人で写っている幼少期の写真の量に驚かされる。
息子さんと娘さんは気丈であり、泣くことはなかった。
正直、亡くなった男の母親を自分自身が遠ざけていた感はある。気が強く思ったことをズケズケとモノ言う性格は私の母親も嫌いだった。それと同時に私も嫌いになり、母親が病気で死んだのもこの女のせいだと考えていた。
蛇年のてんびん座である私は執念深く、時としてその天秤が完全にバランスを崩す時がある。
3月9日に亡くなり、その日の朝は亡くなった男の母親への憎しみで目が覚めた。なんでだろうか?
朝っぱらからこの人の顔が頭に浮かぶ。
いつだったろうか、実家に帰るとこの人が遊びに来ていて、間一髪私に「ごめんなさい、あなたが食べるようなものは何もないの」との一言に完全に怒りが頂点に達した。
自分の弟の息子である俺にそんなことを言うか?
そんなつもりはなかったのだと信じたいが、その言葉に俺は完全にブちぎれた。
私がかなり神経質になりすぎていた感があったのかも。 その数時間後に叔母から電話が入り、息子さんの死を知る。 息子である男が水に流してくれと最後のお願いに来てくれたことにしてしまおう。
もういい。 くだらない拘りは身を縮めるだけだ。 嫌いな親戚については会わなければ会わないほどに蟠りが生まれる。微妙に冠婚葬祭だけ付き合うならば、すべて付き合うか又は完全に断ち切ることだ。
微妙なポジションが身を亡ぼす。
亡くなった男の実家に二泊させてもらった。手厚いもてなしを受けた、もうそれでいいと思った。
私の母親も天国で許してくれている。
正直、母方の親戚としか付き合ってこなかった。それは間違いだと今、気づく。知る。感じる。
一生付き合うのならば、やはり定期的に合わないとバランスが崩れる。それも四十にして初めて知る。
遅すぎたか、恥ずかしながら人の絆と温もりを知った二日間だった。
人生観がこうやって変わった。残念なのはあいつがもうこの世にいないことだ。
今日はこの辺で
代表取締役 野呂一哉